今を生きる

ねじろう

2007年01月17日 16:09

今年初めてのブログ、
普通なら「あけおめ」で始まるんだろうけど、どうにもおめでたい気になれない。
ひとつには喪中と言うこともあり、もう一つには元旦早々にひいた風邪がまだずるずると尾を引いていることもあるが、
最大の原因は40年来の友人が病の床に伏し、回復の見込みがないということであろう。

中学高校を共に過ごし、彼は大阪、僕は地元広島の大学に進んだ。
大学生となった最初の夏休み、それまでは瀬戸内海の小島で楽しんできたキャンプをどこか南の島でやろうと思いついた。何しろ時間はたっぷりあるのだから。

当時、沖縄の北には国境を示すラインがくっきりと書いてあった。
では日本の最南端を目指そうではないか。

国境の北には「与論島」というちっぽけな島が地図にはあった。

当時、ここがどういうところか調べる方法は何もなかった。
なんとか、村役場の電話番号を探し当て電話してみる。

「あのー、そちらでキャンプしたいんですけど、水はありますか?」
「ありますよ、私ら住んでますから」
などと1から教えてもらい、どうやら日本最南端与論島キャンプは実現しそうになった。
となると、後はメンバー。
瀬戸内キャンプで料理長だった彼ははずせない。
大阪の彼に、葉書(!!)を書いた。(笑)
当時の彼のアパートには電話はなかったから。
まもなく、行くという返事が来た。
お互いの友人が一人ずつ加わり、後に移住までするようになった、僕の南の島巡りがここから始まった。

与論島、トカラ列島宝島、子宝島、3年にわたり、夏休み毎にリュックを背負ってキャンプした。
米と缶詰のみ持って行って、タンパク質は海から調達するのがわれわれのスタンス。
基本は魚突き、初日には片っ端から突いて、2日目からは旨かったヤツだけ突いた。
当時、僕は料理などしたことがなかったので、ほとんどすべて彼が仕切り、我々は箸を持ってまっていたものだ.

そんな彼も、卒業後はお堅い金融業へ就職。
南の島へ通い続ける僕をうらやましそうにしながら、いつか定年退職したらどこか南の島で老後を送るんだと言っていた。

その彼が、定年を待つことなく死と戦うことになろうとは誰も予測しなかった。

こんな光景が浮かぶ。

地上でオギャーと赤ちゃんが生まれる。
天上で神様がカチッと時を刻む何かを押す。
これから始まる長い人生のスタート。
おそらく誰もがそれはストップウォッチだと思うだろう。

そうではなかった。

ストップウォッチではなく、タイマー。

そう、決められた終末へ向けてチッチッチとタイマーが押されたのである。

残り時間は、誰も知らない。

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