2007年01月25日
やんばる釣り遠征
今日から2泊3日、北部釣り遠征である。
この日のために、年初から引いていた風邪がぶり返さないように自重していた。
メンバーは職場の同僚、ハッピー、釣りキチを含む釣り師6名、呑み師4名w。
全員、八重山遠征の時のメンバーである。
1日目は本部より伊江島一文字に渡る。
この日のために、年初から引いていた風邪がぶり返さないように自重していた。
メンバーは職場の同僚、ハッピー、釣りキチを含む釣り師6名、呑み師4名w。
全員、八重山遠征の時のメンバーである。
1日目は本部より伊江島一文字に渡る。
2007年01月20日
海にあいさつ
やっと体調が戻ってきた。
ここらへんで、ちょいと挨拶しておかなくてはなるまい。
何にって?
海にさぁ。
明日も雨らしい。
さて、浦添埠頭でちょいとサビキでもやるか。
うまくいけばグルクマーの酢〆が食えるかも。
ハッピーに言うと、行くという。
おかず釣りにはいいからね、この釣り方は。
で、
やってみた。
何も釣れない(笑)。
今日はいいや。
車の後ろ跳ね上げて、
肘掛け椅子出して、
持ってきたキャンピングガスで湯を沸かす。
ドリップ式のコーヒーをいれて、
“あつっ”とか言いながら風にのみ揺れる竿先を見ている。
貧乏性のハッピーはいつのまにかウキ釣りを始めていて、巨大な(20センチの)アバサーを釣っている。
もう一人の貧乏性(誰?)はハッピーの釣った10センチのグルクンを1匹がけにして放り込む。
やれるだけの事はやった、とふんぞり返る(笑)。
風が冷たくなった夕方、まだ釣るというハッピーを残して帰途についた。
なんだか、軽く幸せな午後であった。
ここらへんで、ちょいと挨拶しておかなくてはなるまい。
何にって?
海にさぁ。
明日も雨らしい。
さて、浦添埠頭でちょいとサビキでもやるか。
うまくいけばグルクマーの酢〆が食えるかも。
ハッピーに言うと、行くという。
おかず釣りにはいいからね、この釣り方は。
で、
やってみた。
何も釣れない(笑)。
今日はいいや。
車の後ろ跳ね上げて、
肘掛け椅子出して、
持ってきたキャンピングガスで湯を沸かす。
ドリップ式のコーヒーをいれて、
“あつっ”とか言いながら風にのみ揺れる竿先を見ている。
貧乏性のハッピーはいつのまにかウキ釣りを始めていて、巨大な(20センチの)アバサーを釣っている。
もう一人の貧乏性(誰?)はハッピーの釣った10センチのグルクンを1匹がけにして放り込む。
やれるだけの事はやった、とふんぞり返る(笑)。
風が冷たくなった夕方、まだ釣るというハッピーを残して帰途についた。
なんだか、軽く幸せな午後であった。
2007年01月17日
今を生きる
今年初めてのブログ、
普通なら「あけおめ」で始まるんだろうけど、どうにもおめでたい気になれない。
ひとつには喪中と言うこともあり、もう一つには元旦早々にひいた風邪がまだずるずると尾を引いていることもあるが、
最大の原因は40年来の友人が病の床に伏し、回復の見込みがないということであろう。
中学高校を共に過ごし、彼は大阪、僕は地元広島の大学に進んだ。
大学生となった最初の夏休み、それまでは瀬戸内海の小島で楽しんできたキャンプをどこか南の島でやろうと思いついた。何しろ時間はたっぷりあるのだから。
当時、沖縄の北には国境を示すラインがくっきりと書いてあった。
では日本の最南端を目指そうではないか。
国境の北には「与論島」というちっぽけな島が地図にはあった。
当時、ここがどういうところか調べる方法は何もなかった。
なんとか、村役場の電話番号を探し当て電話してみる。
「あのー、そちらでキャンプしたいんですけど、水はありますか?」
「ありますよ、私ら住んでますから」
などと1から教えてもらい、どうやら日本最南端与論島キャンプは実現しそうになった。
となると、後はメンバー。
瀬戸内キャンプで料理長だった彼ははずせない。
大阪の彼に、葉書(!!)を書いた。(笑)
当時の彼のアパートには電話はなかったから。
まもなく、行くという返事が来た。
お互いの友人が一人ずつ加わり、後に移住までするようになった、僕の南の島巡りがここから始まった。
与論島、トカラ列島宝島、子宝島、3年にわたり、夏休み毎にリュックを背負ってキャンプした。
米と缶詰のみ持って行って、タンパク質は海から調達するのがわれわれのスタンス。
基本は魚突き、初日には片っ端から突いて、2日目からは旨かったヤツだけ突いた。
当時、僕は料理などしたことがなかったので、ほとんどすべて彼が仕切り、我々は箸を持ってまっていたものだ.
そんな彼も、卒業後はお堅い金融業へ就職。
南の島へ通い続ける僕をうらやましそうにしながら、いつか定年退職したらどこか南の島で老後を送るんだと言っていた。
その彼が、定年を待つことなく死と戦うことになろうとは誰も予測しなかった。
こんな光景が浮かぶ。
地上でオギャーと赤ちゃんが生まれる。
天上で神様がカチッと時を刻む何かを押す。
これから始まる長い人生のスタート。
おそらく誰もがそれはストップウォッチだと思うだろう。
そうではなかった。
ストップウォッチではなく、タイマー。
そう、決められた終末へ向けてチッチッチとタイマーが押されたのである。
残り時間は、誰も知らない。
普通なら「あけおめ」で始まるんだろうけど、どうにもおめでたい気になれない。
ひとつには喪中と言うこともあり、もう一つには元旦早々にひいた風邪がまだずるずると尾を引いていることもあるが、
最大の原因は40年来の友人が病の床に伏し、回復の見込みがないということであろう。
中学高校を共に過ごし、彼は大阪、僕は地元広島の大学に進んだ。
大学生となった最初の夏休み、それまでは瀬戸内海の小島で楽しんできたキャンプをどこか南の島でやろうと思いついた。何しろ時間はたっぷりあるのだから。
当時、沖縄の北には国境を示すラインがくっきりと書いてあった。
では日本の最南端を目指そうではないか。
国境の北には「与論島」というちっぽけな島が地図にはあった。
当時、ここがどういうところか調べる方法は何もなかった。
なんとか、村役場の電話番号を探し当て電話してみる。
「あのー、そちらでキャンプしたいんですけど、水はありますか?」
「ありますよ、私ら住んでますから」
などと1から教えてもらい、どうやら日本最南端与論島キャンプは実現しそうになった。
となると、後はメンバー。
瀬戸内キャンプで料理長だった彼ははずせない。
大阪の彼に、葉書(!!)を書いた。(笑)
当時の彼のアパートには電話はなかったから。
まもなく、行くという返事が来た。
お互いの友人が一人ずつ加わり、後に移住までするようになった、僕の南の島巡りがここから始まった。
与論島、トカラ列島宝島、子宝島、3年にわたり、夏休み毎にリュックを背負ってキャンプした。
米と缶詰のみ持って行って、タンパク質は海から調達するのがわれわれのスタンス。
基本は魚突き、初日には片っ端から突いて、2日目からは旨かったヤツだけ突いた。
当時、僕は料理などしたことがなかったので、ほとんどすべて彼が仕切り、我々は箸を持ってまっていたものだ.
そんな彼も、卒業後はお堅い金融業へ就職。
南の島へ通い続ける僕をうらやましそうにしながら、いつか定年退職したらどこか南の島で老後を送るんだと言っていた。
その彼が、定年を待つことなく死と戦うことになろうとは誰も予測しなかった。
こんな光景が浮かぶ。
地上でオギャーと赤ちゃんが生まれる。
天上で神様がカチッと時を刻む何かを押す。
これから始まる長い人生のスタート。
おそらく誰もがそれはストップウォッチだと思うだろう。
そうではなかった。
ストップウォッチではなく、タイマー。
そう、決められた終末へ向けてチッチッチとタイマーが押されたのである。
残り時間は、誰も知らない。






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